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屋久島ガイド本舗スタッフ紹介

本多雄二 1979年5月2日生

右の写真は結婚記念日でご依頼くださった方に隠し撮りされたものなので視線を向けていません。ですが、いい写真なので使用しています。

 

屋久島の永田岳 (1886m)のふもと・永田集落に在住。毎日毎朝、永田岳を拝む生活を送っています。永田のいなか浜にはウミガメもやってきて、山も海も身近に存在している日常です。

 

群馬県出身。標高1000m前後の山奥で生まれ15歳まで過ごしていたので、山も登山も、もともと好きでした。高校から下宿生活のため実家を離れ、進学を機に上京。就職後は平日はライターや編集・校正作業などをしつつ、土日は銀座の某喫茶店で珈琲を。

 

東日本大地震後、自然のある生活を求めて、東京都の伊豆諸島の離島での第三セクターでの勤務も経て、屋久島にたどり着きました。

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屋久島ガイド本舗は、本多雄二が個人運営しています。

予約対応時の電話やメールのやり取り、ツイッター投稿、HP作成、ガイドツアーも、本多雄二が担当しています。

個人運営かつ兼業ガイドのため、電話対応は難しい状況の場合が多いです。

 

屋久島内の、老舗​ガイド会社だったり、最大手のガイド会社だったりだと、

ガイドご依頼日まで、どんなガイドが送迎に来るのか分からない可能性もあったりします。

 

屋久島ガイド本舗では、当日のガイドも本多雄二が行います。よろしくお願いいたします。

 

事前のメールでのやり取りだと、なかなか人物像まで伝わりづらいかと思いますが、

ガイドのご依頼をしてくださった皆様のグーグルのクチコミもご参考ください。

 

クチコミ件数はまだまだ少ない状況ですが、皆様に選ばれる屋久島のガイド会社となるべく全力を尽くしております。

 

屋久島トレッキンング・登山でガイドを検討していただいている方々が、

少しでも安心してご依頼いただけるように、このスタッフ紹介ページを充実させていきます。

 

ガイド依頼のない日は屋久島内のホテルで兼業しています。

本多雄二 自己紹介 / 箇条書き

 

■登山好き

大峯奥駈道/大峰奥駈道(吉野から那智まで)の縦走が思い出深いです。

単独初挑戦時の槍ヶ岳北鎌尾根は達成感ありました。

 

■離島好き

屋久島に移住する前に、東京都の伊豆諸島の離島で3〜4年暮らしていました。伊豆諸島の離島も素敵だったのですが、住宅・家賃問題の関係で、屋久島に再移住しました。

 

■ボランティア

東京都に10数年暮らしていた時は、アースデイ東京やアースガーデンといったボランティア活動にも参加していました。

 

■音楽好き

東京時代は、メタモルフォーゼ、ビッグビーチ、渚音楽祭、ナチュラルハイといった音楽イベントにボランティアスタッフとして参加。フジロック、サマーソニック、朝霧ジャムにも、客として幾度も参戦しています。

現在も、新潟・群馬で開催し続けている某イベントに、ボランティアスタッフとして13年連続で参戦中です。東京時代の恩師・仲間に会える唯一の機会に感謝を込めて、これからも屋久島から音楽の迷宮へ。

フィッシュマンズがとても好きでした。

 

■節約国内旅好き

屋久島へ移住する際は、離島から東京まで車を貨物扱いで送り、そこからオーシャン東九フェリーで徳島へ。

徳島県からは高速道路を一切使わずに、高知県、愛媛県、(国道九四フェリーを利用)、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県までを一般道を走りながら、各地の道の駅などで車中泊しながら観光もしました。

鹿児島本土からは、フェリーはいびすかすで屋久島へ。フェリーはいびすかすは、節約旅行好きには刺さります。

電車旅も好きで、18切符を利用しての日本を一周した経験もあります。

連絡する

本多雄二 / 自己紹介文です

 

群馬県の標高1000m前後の山奥で育つ。学校までの登下校は往復1時間も山道を歩き、庭や裏山などの遊び場すべてが大自然。日常から登山をしている、そんな自然に囲まれた生活をしてきたものの、進学を機に東京での生活が続く。

東京でも、キャンプ、アウトドアはしていたものの本格的な登山からは遠ざかった毎日が続く。東日本大震災に機に、非常事態でも生き延びる技術の必要性を感じ、サバイバル能力を磨こうと登山などを再開。

 

表妙義の金洞山、鷹返し。裏妙義の丁須の頭、御岳なども縦走したり。日向八丁尾根からの鋸岳を経て甲斐駒ヶ岳から黒戸尾根を下山したり。西岳、本院岳、戸隠山をビバークしながら縦走したり。

北アルプスのジャンダルム〜奥穂高岳〜北穂高岳〜槍ヶ岳をテントを担いで縦走したり。単独で初めての剱岳を経験してから、単独で初めての槍ヶ岳北鎌尾根が雨天だったものの無事に制覇できたり。

残雪期で山小屋未営業時期に、大峯奥駈道/大峰奥駈道(吉野から那智まで)の縦走などは、今となっても懐かしく、いつかまた再訪したい山々。

 

登山をすればするほど自然に囲まれた暮らしをしたいと思うように。第一候補としては地元に帰省することが思い浮かんだものの、地元には全く仕事がないため、地元以外の移住先を探すことに。そんな中で、伊豆諸島の離島と縁がつながる。山とは離れるが、海とは程遠い生活でもあったので、海に憧れ、期待を膨らませて離島へ。

しかしながら、3年半ほど過ごした頃に、公営住宅の家賃問題の壁にぶつかり再移住を決意。

(離島なのに、都内一等地の高級マンションに住めるほどの高額家賃を払う気にはなれず)

離島内に民間の賃貸住宅もなかったため、必死で再移住先を探していたなかで、

3回ほど訪れた経験があった屋久島の永田において、中古住宅に出会い屋久島にたどり着く。

 

毎日毎朝、永田岳を拝む生活を送る。

 

永田岳山頂からは海を見下ろせる。

そのふもとで、好きであり続けたい山を拝む。

これからは永田岳が自分の生活の軸。

旅好きで登山にハマって、屋久島へたどり着く。

ありがちな結末。

とはいえ、今度は永住というか後戻りもできず。

それだけに、この歳からでも充分に必要な情熱。

楽しみ過ぎて、胸が騒ぐ

 

こんなことを、屋久島に移住した初日に記す。

 

■屋久島登録ガイド

■東京都消防庁普通救命講習修了者

■赤十字救急法基礎講習修了者

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